変化し続けるJ-POPの音楽シーンを、音楽業界の方々が語る番組。
ゲストは、音楽メーカー・プロダクション・プロモーター・アーティストなど、様々な立場の方が登場。
インタビュアーは、兼田達矢。
兼田達矢
1963年、兵庫県姫路市生まれ。
1986年より出版社に勤務。
4年半、雑誌「FMステーション」の編集に携わる。
退社後は、テレビ/ラジオの音楽番組制作、ライブ・イベントの企画/制作、そして音楽誌での取材/執筆など、さまざまな角度から音楽情報流通に関わっている。
ダウンタウンとラグビーが好き。
現在、Voice Wave Broadcastで「音楽現実」のパーソナリティーを務める。
出演ゲスト
株式会社MSエンタテインメント代表取締役 田中芳雄
株式会社角川学芸出版 杉岡中
タワーレコード株式会社 望月展子
株式会社TBSテレビ 編成制作本部アナウンス部長 斎藤薫
ミュージシャン・プロデューサー 伊藤銀次
ライター 松沢呉一
株式会社レコミュニ 取締役 福岡智彦
ライブハウスブッキングマネージャー 鈴木淳文
株式会社テレビ神奈川 住友利行
株式会社自由国民社 大越正実
株式会社ラストラム・ミュージックエンタテインメント代表取締役 村田積治
株式会社ディスクガレージ代表取締役 中西健夫
ミュージシャン ムッシュかまやつ
株式会社に・よん・なな・みゅーじっく代表取締役 丸山茂雄
社団法人 音楽制作者連盟 常務理事 上野 博
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2008年03月14日
■ 株式会社MSエンタテインメント代表取締役 田中芳雄《第4週》
■ 株式会社MSエンタテインメント代表取締役 田中芳雄《第4週》
~ アーティストマネージメントから見た80年代の音楽シーンとは ~
ミュージカルステーション設立からマネージメントに携わってきた立場から音楽シーンを振り返る。マネージメントにおいて権利ビジネスが最も注目を集めたのが80年代だった。
2008年03月07日
■ 株式会社MSエンタテインメント代表取締役 田中芳雄《第3週》
■ 株式会社MSエンタテインメント代表取締役 田中芳雄《第3週》
~ アーティストマネージメントから見た80年代の音楽シーンとは ~
ミュージカルステーション設立からマネージメントに携わってきた立場から音楽シーンを振り返る。シングル重視からアルバム重視へ、そしてコンサートに重点を置いたのが80年代だった。
2008年02月29日
■ 株式会社MSエンタテインメント代表取締役 田中芳雄《第2週》
■ 株式会社MSエンタテインメント代表取締役 田中芳雄《第2週》
~ アーティストマネージメントから見た80年代の音楽シーンとは ~
ミュージカルステーション設立からマネージメントに携わってきた立場から音楽シーンを振り返る。80年代に入りラジオを通じて、アーティストのキャラクターを積極的にプロモーションしていった。
2008年02月22日
■ 株式会社MSエンタテインメント代表取締役 田中芳雄《第1週》
■ 株式会社MSエンタテインメント代表取締役 田中芳雄《第1週》
~ アーティストマネージメントから見た80年代の音楽シーンとは ~
ミュージカルステーション設立からマネージメントに携わってきた立場から音楽シーンを振り返る。70年代はレコード会社のヒットを狙う姿勢からマネージメントととして学ぶものが多かった。
2008年02月15日
■ 株式会社角川学芸出版 杉岡中《第4週》
■ 株式会社角川学芸出版 杉岡中《第4週》
~ メーカー、出版から見た80年代の音楽シーンとは ~
ミディ、タワーレコードと経験した立場から音楽シーンを振り返る。月刊カドカワは当初、女性向けの小説誌だった。音楽アーティストの特集は松任谷由実が最初。
2008年02月08日
■ 株式会社角川学芸出版 杉岡中《第3週》
■ 株式会社角川学芸出版 杉岡中《第3週》
~ メーカー、出版から見た80年代の音楽シーンとは ~
ミディ、タワーレコードと経験した立場から音楽シーンを振り返る。80年代に入り、急激に海外の音楽情報が一般の人にも届き、輸入盤が流通され始めた。
2008年02月01日
■ 株式会社角川学芸出版 杉岡中《第2週》
■ 株式会社角川学芸出版 杉岡中《第2週》
~ メーカー、出版から見た80年代の音楽シーンとは ~
ミディ、タワーレコードと経験した立場から音楽シーンを振り返る。80年代、業界のポテンシャル以上の売り上げを求めて、何かを見失った時代。
2008年01月25日
■ 株式会社角川学芸出版 杉岡中《第1週》
■ 株式会社角川学芸出版 杉岡中《第1週》
~ メーカー、出版から見た80年代の音楽シーンとは ~
ミディ、角川書店と経験した立場から音楽シーンを振り返る。いきなり入社したばかりで「いけないルージュマジック」の大ヒットを経験。
2008年01月18日
■ タワーレコード株式会社 望月展子《第4週》
■ タワーレコード株式会社 望月展子《第4週》
~ 流通、出版から見た80年代の音楽シーンとは ~
ぴあ、タワーレコードと経験した立場から音楽シーンを振り返る。80年代の読者は情報をインデックス化する事で活用していたが、現在は、なかなか自分の好みの枠を越えてまで活用しない。
2008年01月11日
■ タワーレコード株式会社 望月展子《第3週》
■ タワーレコード株式会社 望月展子《第3週》
~ 流通、出版から見た80年代の音楽シーンとは ~
ぴあ、タワーレコードと経験した立場から音楽シーンを振り返る。80年代、ぴあ編集部内で、音楽においてカルチャーとエンターテインメントを線引きする傾向があった。
2008年01月04日
■ タワーレコード株式会社 望月展子《第2週》
■ タワーレコード株式会社 望月展子《第2週》
~ 流通、出版から見た80年代の音楽シーンとは ~
ぴあ、タワーレコードと経験した立場から音楽シーンを振り返る。劇団四季のチケットの取り扱いからスタートした“チケットぴあ”が邦楽の売り上げまでに影響を及ぼすに至った。
2007年12月28日
■ タワーレコード株式会社 望月展子《第1週》
■ タワーレコード株式会社 望月展子《第1週》
~ 流通、出版から見た80年代の音楽シーンとは ~
ぴあ、タワーレコードと経験した立場から音楽シーンを振り返る。80年代は、様々なタイプのライブハウスが混在していた時代。仕事の9割が、掲載を断る仕事だった!?
2007年12月21日
■ 株式会社TBSテレビ 編成制作本部アナウンス部長 斎藤薫《第4週》
■ 株式会社TBSテレビ 編成制作本部アナウンス部長 斎藤薫《第4週》
~ メディアのメインストリームにおける80年代の音楽シーンとは ~
TBSのテレビ・ラジオで80年代にプロデューサーとディレクターを担当した立場から当時の音楽シーンを振り返る。テレビにおける音楽番組は80年代にピークを迎え、音楽番組は減っていった。その結果、世の中に知られている曲とミリオンヒットがシンクロしなくなった。
2007年12月14日
■ 株式会社TBSテレビ 編成制作本部アナウンス部長 斎藤薫《第3週》
■ 株式会社TBSテレビ 編成制作本部アナウンス部長 斎藤薫《第3週》
~ メディアのメインストリームにおける80年代の音楽シーンとは ~
TBSのテレビ・ラジオで80年代にプロデューサーとディレクターを担当した立場から当時の音楽シーンを振り返る。音楽の楽しみ方の多様化によって、音楽チャート番組が80年代後半、時代に対応出来なくなってきた。
2007年12月07日
■ 株式会社TBSテレビ 編成制作本部アナウンス部長 斎藤薫《第2週》
■ 株式会社TBSテレビ 編成制作本部アナウンス部長 斎藤薫《第2週》
~ メディアのメインストリームにおける80年代の音楽シーンとは ~
TBSのテレビ・ラジオで80年代にプロデューサーとディレクターを担当した立場から当時の音楽シーンを振り返る。邦楽、洋楽ともにテレビや映像の影響が大きく、またライブパフォーマンスが重要になっていった時代だった。
2007年11月30日
■ 株式会社TBSテレビ 編成制作本部アナウンス部長 斎藤薫《第1週》
■ 株式会社TBSテレビ 編成制作本部アナウンス部長 斎藤薫《第1週》
~ メディアのメインストリームにおける80年代の音楽シーンとは ~
TBSのテレビ・ラジオで80年代にプロデューサーとディレクターを担当した立場から当時の音楽シーンを振り返る。「日本レコード大賞」「ザ・ベストテン」など音楽番組を制作していたTBS。80年代は音楽を情報として扱った番組がブレイクした。
2007年11月23日
■ ミュージシャン・プロデューサー 伊藤銀次《第4週》
■ ミュージシャン・プロデューサー 伊藤銀次《第4週》
~ ロックの根本はいつの時代も変わらないが、スタイルは時代とともに変化する ~
佐野元春、沢田研二、ウルフルズのプロデュースワークをした立場から80~90年代当時の音楽シーンを振り返る。80年代は音楽をやっている人たちにとって、恵まれた時代だった。アメリカやイギリスの音楽シーンに触発されて、日本も活性化していった。
2007年11月16日
■ ミュージシャン・プロデューサー 伊藤銀次《第3週》
■ ミュージシャン・プロデューサー 伊藤銀次《第3週》
~ ロックの根本はいつの時代も変わらないが、スタイルは時代とともに変化する ~
佐野元春、沢田研二、ウルフルズのプロデュースワークをした立場から80~90年代当時の音楽シーンを振り返る。日本の街並みが変わっていくとともに、そこにフィットする音楽も変わっていく。
2007年11月09日
■ ミュージシャン・プロデューサー 伊藤銀次《第2週》
■ ミュージシャン・プロデューサー 伊藤銀次《第2週》
~ ロックの根本はいつの時代も変わらないが、スタイルは時代とともに変化する ~
佐野元春、沢田研二、ウルフルズのプロデュースワークをした立場から80~90年代当時の音楽シーンを振り返る。日本において70年代に神格化されていたロックが80年代に入り、いい意味で大衆化していった。
2007年11月02日
■ ミュージシャン・プロデューサー 伊藤銀次《第1週》
■ ミュージシャン・プロデューサー 伊藤銀次《第1週》
~ ロックの根本はいつの時代も変わらないが、スタイルは時代とともに変化する ~
佐野元春、沢田研二、ウルフルズのプロデュースワークをした立場から80~90年代当時の音楽シーンを振り返る。80年代を迎え、佐野元春を売らないと日本の音楽シーンは良くならない、という思いが強かった。
2007年10月26日
■ ライター 松沢呉一《第4週》
■ ライター 松沢呉一《第4週》
~ アンダーグラウンドの視点から捉えた80年代を中心とした音楽カルチャーとは ~
80~90年代に音楽、映像、広告、放送、ライターなど様々な仕事に携わった立場から当時の音楽シーンを振り返る。カラオケボックスは、今や音楽プロモーションの場となっている。音楽が聴くものから歌うものへ変化した。
2007年10月19日
■ ライター 松沢呉一《第3週》
■ ライター 松沢呉一《第3週》
~ アンダーグラウンドの視点から捉えた80年代を中心とした音楽カルチャーとは ~
80~90年代に音楽、映像、広告、放送、ライターなど様々な仕事に携わった立場から当時の音楽シーンを振り返る。80年代にはオヤジの象徴であったカラオケ文化、そのカラオケの存在の変化が、今の音楽シーンに大きな影響を与えている。
2007年10月12日
■ ライター 松沢呉一《第2週》
■ ライター 松沢呉一《第2週》
~ アンダーグラウンドの視点から捉えた80年代を中心とした音楽カルチャーとは ~
80~90年代に音楽、映像、広告、放送、ライターなど様々な仕事に携わった立場から当時の音楽シーンを振り返る。80年代は音楽や映像や芝居がボーダレスに関わり、大学を活動の中心にとして、カルチャーを作り上げていた。
2007年10月05日
■ ライター 松沢呉一《第1週》
■ ライター 松沢呉一《第1週》
~ アンダーグラウンドの視点から捉えた80年代を中心とした音楽カルチャーとは ~
80~90年代に音楽、映像、広告、放送、ライターなど様々な仕事に携わった立場から当時の音楽シーンを振り返る。80年代の大学での音楽イベントには、何かに例える事の出来ない熱気があり、観る側にも、ただライブを観ているだけでない参加意識を持っていた。
2007年09月28日
■ 株式会社レコミュニ 取締役 福岡智彦《第4週》
■ 株式会社レコミュニ 取締役 福岡智彦《第4週》
~ 歌謡曲からポップやロックに音楽が移り変わっていった80年代に音楽制作現場で起きていた事 ~
渡辺音楽出版で80年代を代表するアーティストのディレクターを担当した立場から当時の音楽シーンを振り返る。レコード業界にとって、いい時代だった80年代。でも、それは終わりの始まりだった。
2007年09月21日
■ 株式会社レコミュニ 取締役 福岡智彦《第3週》
■ 株式会社レコミュニ 取締役 福岡智彦《第3週》
~ 歌謡曲からポップやロックに音楽が移り変わっていった80年代に音楽制作現場で起きていた事 ~
渡辺音楽出版で80年代を代表するアーティストのディレクターを担当した立場から当時の音楽シーンを振り返る。80年代はデジタルの録音機器や楽器が沢山生まれた時代。レコーディングで実験的な遊びを多用した。
2007年09月14日
■ 株式会社レコミュニ 取締役 福岡智彦《第2週》
■ 株式会社レコミュニ 取締役 福岡智彦《第2週》
~ 歌謡曲からポップやロックに音楽が移り変わっていった80年代に音楽制作現場で起きていた事 ~
渡辺音楽出版で80年代を代表するアーティストのディレクターを担当した立場から当時の音楽シーンを振り返る。作詞、作曲、歌が、それぞれのスペシャリストが担当する事により、スケールの大きい作品が生まれる。等身大の作品じゃ、物足りない。
2007年09月07日
■ 株式会社レコミュニ 取締役 福岡智彦《第1週》
■ 株式会社レコミュニ 取締役 福岡智彦《第1週》
~ 歌謡曲からポップやロックに音楽が移り変わっていった80年代に音楽制作現場で起きていた事 ~
渡辺音楽出版で80年代を代表するアーティストのディレクターを担当した立場から当時の音楽シーンを振り返る。歌謡曲からポップやロックに移り変わっていった80年代前半の音楽シーンは洋楽に影響され試行錯誤した時代だった。
2007年08月31日
■ ライブハウスブッキングマネージャー 鈴木淳文《第4週》
■ ライブハウスブッキングマネージャー 鈴木淳文《第4週》
~ 80年代のバンド・ブームの頃のアマチュアバンド、オーディエンスたちとは? ~
日本の音楽シーンを支えてきたライブハウスで仕事をしてきた立場からバンド・ブームの頃のアマチュアバンド、オーディエンスたちを振り返る。
現在、ライブハウスの運営は厳しいが、なぜかライブハウスの数が増えている。
2007年08月24日
■ ライブハウスブッキングマネージャー 鈴木淳文《第3週》
■ ライブハウスブッキングマネージャー 鈴木淳文《第3週》
~ 80年代のバンド・ブームの頃のアマチュアバンド、オーディエンスたちとは? ~
日本の音楽シーンを支えてきたライブハウスで仕事をしてきた立場からバンド・ブームの頃のアマチュアバンド、オーディエンスたちを振り返る。
バンドブームの終焉後、ライブハウスシーンが急速に冷え込んだ時があった。
2007年08月17日
■ ライブハウスブッキングマネージャー 鈴木淳文《第2週》
■ ライブハウスブッキングマネージャー 鈴木淳文《第2週》
~ 80年代のバンド・ブームの頃のアマチュアバンド、オーディエンスたちとは? ~
日本の音楽シーンを支えてきたライブハウスで仕事をしてきた立場からバンド・ブームの頃のアマチュアバンド、オーディエンスたちを振り返る。
ライブハウスにおいては80年代の方がファンのアーティストへの思い入れが強かった!?
2007年08月10日
■ ライブハウスブッキングマネージャー 鈴木淳文《第1週》
■ ライブハウスブッキングマネージャー 鈴木淳文《第1週》
~ 80年代のバンド・ブームの頃のアマチュアバンド、オーディエンスたちとは? ~
日本の音楽シーンを支えてきたライブハウスで仕事をしてきた立場からバンド・ブームの頃のアマチュアバンド、オーディエンスたちを振り返る。
80年代の原宿はライブハウスとホコ天と音楽的にリンクしてる事が多かった。
2007年08月03日
■ 株式会社テレビ神奈川 住友利行《第4週》
■ 株式会社テレビ神奈川 住友利行《第4週》
~ 80年代に音楽アーティストの登竜門的な番組を多く制作していたテレビ局 ~
テレビ神奈川で数多くの音楽番組を制作した立場から1980年代を中心に音楽シーンを振り返る。応援するアーティストは、「ライブ」「ビデオ」「キャラクター」をメインとした3つの番組の中でプランニングも含めて継続的に応援していった。
2007年07月27日
■ 株式会社テレビ神奈川 住友利行《第3週》
■ 株式会社テレビ神奈川 住友利行《第3週》
~ 80年代に音楽アーティストの登竜門的な番組を多く制作していたテレビ局 ~
テレビ神奈川で数多くの音楽番組を制作した立場から1980年代を中心に音楽シーンを振り返る。83年頃からMTVの影響を受けて、音楽においての映像の影響力が高まっていった。
2007年07月20日
■ 株式会社テレビ神奈川 住友利行《第2週》
■ 株式会社テレビ神奈川 住友利行《第2週》
~ 80年代に音楽アーティストの登竜門的な番組を多く制作していたテレビ局 ~
テレビ神奈川で数多くの音楽番組を制作した立場から1980年代を中心に音楽シーンを振り返る。78年にエピックソニーが設立され、ニ人三脚でロックミュージックを盛り上げていけた事が大きかった。
2007年07月13日
■ 株式会社テレビ神奈川 住友利行《第1週》
■ 株式会社テレビ神奈川 住友利行《第1週》
~ 80年代に音楽アーティストの登竜門的な番組を多く制作していたテレビ局 ~
テレビ神奈川で数多くの音楽番組を制作した立場から1980年代を中心に音楽シーンを振り返る。1972年に開局し、東京キー局との差別化を狙い、若者ターゲットの独自の音楽番組作りが始まった。
2007年07月06日
■ 株式会社自由国民社 大越正実《第4週》
■ 株式会社自由国民社 大越正実《第4週》
~ 取り残されてしまった音楽活字媒体? ~
『シンプジャーナル』編集長を経験した立場から1980年代を中心に音楽シーンを振り返る。インターネットの発達によって、ミュージシャンとファンの間が縮まったが音楽文化的には‥‥。
2007年06月29日
■ 株式会社自由国民社 大越正実《第3週》
■ 株式会社自由国民社 大越正実《第3週》
~ 取り残されてしまった音楽活字媒体? ~
『シンプジャーナル』編集長を経験した立場から1980年代を中心に音楽シーンを振り返る。80年代と今も変わらない音楽雑誌の原稿料、あまりに低くて人材が育たない!?
2007年06月22日
■ 株式会社自由国民社 大越正実《第2週》
■ 株式会社自由国民社 大越正実《第2週》
~ 取り残されてしまった音楽活字媒体? ~
『シンプジャーナル』編集長を経験した立場から1980年代を中心に音楽シーンを振り返る。音楽ビジネスがアマチュアからプロフェッショナルへ変わった時代。
2007年06月15日
■ 株式会社自由国民社 大越正実《第1週》
■ 株式会社自由国民社 大越正実《第1週》
~ 取り残されてしまった音楽活字媒体? ~
『シンプジャーナル』編集長を経験した立場から1980年代を中心に音楽シーンを振り返る。雑誌はミュージシャンの人となりを伝え、ラジオは音楽伝え、成功するとテレビへ、という住み分けが無くなった時代。
2007年06月08日
■ 株式会社ラストラム・ミュージックエンタテインメント代表取締役 村田積治《第4週》
■ 株式会社ラストラム・ミュージックエンタテインメント代表取締役 村田積治《第4週》
~ 時代とタイアップしたアーティストたちのマネージメントとは? ~
ジャグラー~イーストウエストジャパンとプロダクション&音楽メーカーの両方を経験した立場から1980年代の音楽シーンを振り返る。無くてもいいかもしれないが、あればハッピー! 音楽はワイン?
2007年06月01日
■ 株式会社ラストラム・ミュージックエンタテインメント代表取締役 村田積治《第3週》
■ 株式会社ラストラム・ミュージックエンタテインメント代表取締役 村田積治《第3週》
~ 時代とタイアップしたアーティストたちのマネージメントとは? ~
ジャグラー~イーストウエストジャパンとプロダクション&音楽メーカーの両方を経験した立場から1980年代の音楽シーンを振り返る。ザ・ブルーハーツに見た、本当のロックミュージシャンの姿とは?
2007年05月25日
■ 株式会社ラストラム・ミュージックエンタテインメント代表取締役 村田積治《第2週》
■ 株式会社ラストラム・ミュージックエンタテインメント代表取締役 村田積治《第2週》
~ 時代とタイアップしたアーティストたちのマネージメントとは? ~
ジャグラー~イーストウエストジャパンとプロダクション&音楽メーカーの両方を経験した立場から1980年代の音楽シーンを振り返る。フィッツビートレーベルから生まれたミニアルバム、その誕生までのプロセスとは?
2007年05月18日
■ 株式会社ラストラム・ミュージックエンタテインメント代表取締役 村田積治《第1週》
■ 株式会社ラストラム・ミュージックエンタテインメント代表取締役 村田積治《第1週》
~ 時代とタイアップしたアーティストたちのマネージメントとは? ~
ジャグラー~イーストウエストジャパンとプロダクション&音楽メーカーの両方を経験した立場から1980年代の音楽シーンを振り返る。カウンターカルチャーこそインパクトがある、矢沢永吉は時代とタイアップしていた。
2007年05月11日
■ 株式会社ディスクガレージ代表取締役 中西健夫《第4週》
■ 株式会社ディスクガレージ代表取締役 中西健夫《第4週》
~ 1980年代からコンサートビジネスが変わっていった ~
時代とともに複雑になってきたコンサートビジネス。コンサートプロモーターの立場から1980年代の音楽シーンを振り返る。
コンピューターによるチケット配券が始まった80年代、コンサートとお客さんの距離が縮まった。
2007年05月04日
■ 株式会社ディスクガレージ代表取締役 中西健夫《第3週》
■ 株式会社ディスクガレージ代表取締役 中西健夫《第3週》
~ 1980年代からコンサートビジネスが変わっていった ~
時代とともに複雑になってきたコンサートビジネス。コンサートプロモーターの立場から1980年代の音楽シーンを振り返る。
ハウンドドッグは西武球場を貸してもらえなかった !? ロックに対して、まだまだ偏見のあった80年代。
2007年04月27日
■ 株式会社ディスクガレージ代表取締役 中西健夫《第2週》
■ 株式会社ディスクガレージ代表取締役 中西健夫《第2週》
~ 1980年代からコンサートビジネスが変わっていった ~
時代とともに複雑になってきたコンサートビジネス。コンサートプロモーターの立場から1980年代の音楽シーンを振り返る。
80年代後半に存在した汐留PIT、アイデアのきっかけはBOOWYだった !? 80年代から進化を始めた野外音楽イベント。
2007年04月20日
■ 株式会社ディスクガレージ代表取締役 中西健夫《第1週》
■ 株式会社ディスクガレージ代表取締役 中西健夫《第1週》
~ 1980年代からコンサートビジネスが変わっていった ~
時代とともに複雑になってきたコンサートビジネス。コンサートプロモーターの立場から1980年代の音楽シーンを振り返る。
80年代にメディアやライブハウス、コンサート会場などのインフラが整備されて、コンサートビジネスが変化していった。
2007年04月13日
■ ミュージシャン ムッシュかまやつ《第4週》
■ ミュージシャン ムッシュかまやつ《第4週》
~常に音楽シーンの第一線で活躍を続ける、ムッシュ。時代とともに変わっていく音楽との付き合い方とは?~
1950年代から現在まで、音楽シーンの第一線で活躍してきたミュージシャンの立場から1980年代を中心に、音楽シーンを振り返る。
人にしか作れないリズムがある。
機械には人間が創る以上の音楽は作れない!
2007年04月06日
■ ミュージシャン ムッシュかまやつ《第3週》
■ ミュージシャン ムッシュかまやつ《第3週》
~常に音楽シーンの第一線で活躍を続ける、ムッシュ。時代とともに変わっていく音楽との付き合い方とは?~
1950年代から現在まで、音楽シーンの第一線で活躍してきたミュージシャンの立場から1980年代を中心に、音楽シーンを振り返る。
情報の氾濫によって、ブームが出来にくくなっている。今は、1アーティストがシーンを引っ張って行く時代。
2007年03月30日
■ ミュージシャン ムッシュかまやつ《第2週》
■ ミュージシャン ムッシュかまやつ《第2週》
~常に音楽シーンの第一線で活躍を続ける、ムッシュ。時代とともに変わっていく音楽との付き合い方とは?~
1950年代から現在まで、音楽シーンの第一線で活躍してきたミュージシャンの立場から1980年代を中心に、音楽シーンを振り返る。
ジャズに大きな影響を受けていたためか、ボーカルが前に出ている音楽が苦手だった。テクノロジーと人とのバランスが重要!
2007年03月23日
■ ミュージシャン ムッシュかまやつ《第1週》
■ ミュージシャン ムッシュかまやつ《第1週》
~常に音楽シーンの第一線で活躍を続ける、ムッシュ。時代とともに変わっていく音楽との付き合い方とは?~
1950年代から現在まで、音楽シーンの第一線で活躍してきたミュージシャンの立場から1980年代を中心に、音楽シーンを振り返る。音楽キャリアのスタートがカントリー&ウエスタン。そしてマージービートを経てフォークの世界で活動していた時に、ショックをおぼえたのはYMOだった。
2007年03月16日
■ 株式会社に・よん・なな・みゅーじっく代表取締役 丸山茂雄《第4週》
■ 株式会社に・よん・なな・みゅーじっく代表取締役 丸山茂雄《第4週》
~80年代EPIC・ソニーの映像中心戦略のきっかけは「スリラー」だった !? ~
EPIC・ソニーを立ち上げビッグブランドに育て音楽シーンを席巻した、レコードメーカーの立場から1980年代の音楽シーンを振り返る。レコードからCDに変化した時代、音楽メーカーにあたえた影響とは?
2007年03月09日
■ 株式会社に・よん・なな・みゅーじっく代表取締役 丸山茂雄《第3週》
■ 株式会社に・よん・なな・みゅーじっく代表取締役 丸山茂雄《第3週》
~80年代EPIC・ソニーの映像中心戦略のきっかけは「スリラー」だった !? ~
EPIC・ソニーを立ち上げビッグブランドに育て音楽シーンを席巻した、レコードメーカーの立場から1980年代の音楽シーンを振り返る。プロモーションビデオを作ったものの、映像を流す場が無かった !?
2007年03月02日
■ 株式会社に・よん・なな・みゅーじっく代表取締役 丸山茂雄《第2週》
■ 株式会社に・よん・なな・みゅーじっく代表取締役 丸山茂雄《第2週》
~80年代EPIC・ソニーの映像中心戦略のきっかけは「スリラー」だった !? ~
EPIC・ソニーを立ち上げビッグブランドに育て音楽シーンを席巻した、レコードメーカーの立場から1980年代の音楽シーンを振り返る。フォークとラジオが結びついていた70年代から80年代初頭。その当時、ロックをプロモーションしてもラジオ業界には全く受け入れられなかった。
2007年02月23日
■ 株式会社に・よん・なな・みゅーじっく代表取締役 丸山茂雄《第1週》
■ 株式会社に・よん・なな・みゅーじっく代表取締役 丸山茂雄《第1週》
~80年代EPIC・ソニーの映像中心戦略のきっかけは「スリラー」だった !? ~
EPIC・ソニーを立ち上げビッグブランドに育て音楽シーンを席巻した、レコードメーカーの立場から1980年代の音楽シーンを振り返る。70年代の音楽シーンはテレビの影響を恩恵を受けた時代。そして、ひと段落した70年代後半から新しいシーンが生まれる匂いがしていた。
2007年02月16日
■ 社団法人 音楽制作者連盟 常務理事 上野 博《part4》
■ 社団法人 音楽制作者連盟 常務理事 上野 博《part4》
レコード・CDの売り上げを中心に動いた80年代、レコード会社中心の時代だった。
オフコースカンパニ~上野カンパニーとアーティストマネージメントの立場から1980年代の音楽シーンを振り返る。ライブやコンサートがCD販売のプロモーションのために存在していた。
2007年02月09日
■ 社団法人 音楽制作者連盟 常務理事 上野 博《part3》
■ 社団法人 音楽制作者連盟 常務理事 上野 博《part3》
レコード・CDの売り上げを中心に動いた80年代、レコード会社中心の時代だった。
オフコースカンパニ~上野カンパニーとアーティストマネージメントの立場から1980年代の音楽シーンを振り返る。商業主義とカウンターカルチャーの中でアーティストもマネージメントも揺れ動いた時代。
2007年02月02日
■ 社団法人 音楽制作者連盟 常務理事 上野 博《part2》
■ 社団法人 音楽制作者連盟 常務理事 上野 博《part2》
レコード・CDの売り上げを中心に動いた80年代、レコード会社中心の時代だった。
オフコースカンパニ~上野カンパニーとアーティストマネージメントの立場から1980年代の音楽シーンを振り返る。音楽ビジネスのあり方が変わった時代、権利ビジネスが本格化していった。
2007年01月26日
■ 社団法人 音楽制作者連盟 常務理事 上野 博《part1》
■ 社団法人 音楽制作者連盟 常務理事 上野 博《part1》
レコード・CDの売り上げを中心に動いた80年代、レコード会社中心の時代だった。
オフコースカンパニ~上野カンパニーとアーティストマネージメントの立場から1980年代の音楽シーンを振り返る。1980年代に入り、エピック・ソニーの登場に新しいシーンを感じた。